脚本を書くということ『3.書き方編』

※少し病んでますので、高校演劇を愛する方は読まない方が・・・

以上のようなことを踏まえて書き始めることにしたわけですが、脚本なんて書いたことがなかったわけですから、色々と気をつけたり、心がけたりすることを考えました。もちろん、今まで観てきた演劇作品を思い返しながら、概ね、まずはこんなことに気をつけていこうと心がけました。

1.暗転は1回まで

ひとまずは高校演劇サイズ(60分)の作品を作るのですから、本当だったら暗転はなくてもできるのではないかと思いますが、さすがにハードルが高い。そこで、暗転はあって1回だけに収めるように心がけています。もちろん、絶対にそうするべきだということではないし、本当に必要な暗転なら仕方ないのでしょうが、避けられるなら避けたい。

僕自身が観客としてみている時も、きちんと盛り上げてあげてくれて暗転となると『この後、どうなるのだろうか』と思ったりして、早く明かりが点かないかと思いますが、序盤からちょこちょこ暗転されてしまうと、そのたび毎に頭の中で物語を整理してしまう余裕ができて、面白いんだけれど、どこか冷静に観てしまうような感じになります。

理想は1セット・1シュチュエーションで展開できる物語。しかし、そういう物語はなかなか思い浮かびません。そこで、なんとか暗転を挟まずに場面が切り替わっていく方法を考えるようにしています。それも良し悪しですが、暗転にするよりは良いかなと考えています。

2.セリフは短く

海外の古典劇を読むと、やたらと長科白が多いことがあります。一昨年にコピスで上演したバーナード・ショーの『Pygmalion』も、昨年上演したオスカー・ワイルドの『The Importance of being Earnest』も序盤から5行、10行という長科白が並んでいます。

もちろん、それにはその良さがあるのですが、僕は出来る限り、1行あたりの科白は短めにするように心がけています。僕の脚本のフォーマットは1行が33文字ですが極力、1つの科白が1行に収まるように心がけています。もちろん、ここぞという時には長科白を書きますが、それは『長い科白になるぞ』と意識して書くようにしています。

理由は2つ。1つは会話のテンポを組み立てるため、1人が長く話しすぎると会話感は作りやすいのだけれどテンポが悪くなる。裏腹にテンポを良くすると会話感が作りづらくなります。もう一つは説明セリフや独り善がりなセリフを極力、減らすため。どうしても1人がとうとうと語るとセリフの中で情景を説明しがちになります。とにかく会話の中から関係性や状況が浮かび上がるようにしたいと思うのですが、これはなかなか難しい。でも、その辺のことはしっかり意識していないと、思っていることが全てセリフになっているような脚本になりがちになるので注意をしています。

3.無理に笑いを取ろうとしない

面白いことを言ったり、面白い行動をしたりすることは極力、避けます。一番理想的なのは普通の言葉で笑いをとれるようなシチュエーションを作り上げることです。そのために色々なことを振り終わる前の序盤が重い展開になってしまうことがありますが、安易な手を使わないように我慢をしています。

高校生が元気にやっていると許されてしまうことが多くありますが、(2)で述べた通り、高校生が書いてそれをするのは良いと思いますが、僕が書くのならばそういったことはしない方が良いと考えているので、きちんと組み立てようと心がけるようにしました。

・・・と僕自身が良いなと思う脚本の共通点を追いつつ、書くようにしてきました。それが効果的であったか分かりませんが、内容の面白さはともかくとして、基本的なところははずさずに書いてこられたのかなと思います。

でも、その一方でとても演じるのは大変な脚本になっていってしまったようにも思います。もう少し、柔軟に書いても良いような気もするのですが、安易な方向に流れてしまうのはどうしても嫌なので、スタイルを崩さずに書いてきた20作品ということになります。

では、これからどうしましょうか・・・ということを次に。

(『4.これから編』に続く)

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